鍋を振る日々

about me, and for ニート

質問魔

自分はかなりの質問魔だと思う。

質問魔という言葉は造語だと思うのだけれど言ってみれば、とにかく質問をする人という意味。

誰かと話ている時、自分は基本自分の事は話さず相手の事をとにかく聞いてる。

質問する。

話が始まるとスイッチが入って次々に質問が浮かぶし、面白いテーマだったり気になる人と話してるとなおさら。

イメージとしては自分から球を投げてその返しだったり跳ね返りで相手の形や質感つまり性格や人間性を見ようとしてる。

あと基本質問するのが好き。

はてなブログはたまにgoogleフォームを置いてる人がいて、質問とか受け付けてたりする。

いつも読んでる人に質問してみたら、その日の夜に返してくれた。

最近考えてることを質問してみたので嬉しかった。

おわり。

できる事とやりたい事は決定的に違う

夜勤をして体のバランスが崩れたせいかなんか悲しい

小説家になりたいと思ってもそれは小説を書ける事と=ではない。

ましてや小説を書いて生計を立てられることと=でもない。

でも社会で働いてITなり人をまとめたりとかはニガテではないらしい。

率先してコミュニケーションを取れるし上手く行きそうな気がする

でもそれじゃあ素直に自分を肯定できないって所が大きい、人は矛盾だらけでまっすぐに生きれないけど、人は真っすぐさを求める。

欺くのは得意だ誰かを演じるのもだけど素直に自分をさらしてキレイな生き方をしてみたい。

それは表現者じゃなきゃ無理なんじゃなかろうか。

寂しいよ、人恋しさだけが募っていく。

もう笑顔になれないかもしれないけどなりたいものになりたいなあ

定期的に気分が落ち込む。そしてそれに対する予防策や対応策のようなものを持っていない。

今回のきっかけとしては間違いなく、バイト先の朝の朝礼で立ちっぱなしでいすぎて立ちくらみを起こしたことだろう。それをきっかけに身体のリズムが崩れた。今まで何でもなかったことたちが違和感を持って現れてくる。

僕はいつもある一定の基準以上のテンションというか、元気を何の苦もなく維持しているんだけれど、一度鬱モードに突入するといつも超えているラインをずっと超えられない。

それはよくいう波があるとかいう状態ではなくずっと憂鬱だ。

金曜に調子が悪くなって土日挟んでずっと食べる以外は寝ていた。でも気持ちは晴れない。

 

ではどうするのか?どうすれば元気になるのかというと、僕の場合は荒療治として普段通り仕事に行くという結論に達する。

この普段の生活を維持するということを意識的に行うために努力する、自覚して行動するというのが大変な苦痛、不愉快、不快感を伴う。

 

あれから、、、4年目

何だか分からないがその時自分を作っていた世間というものを断ち切って気付くと今年で4年目になっていた。

時間の流れは早いものだ

別に自分から進んでそうしたかったわけではないが、なし崩し的にそうなってしまった。

まあ人生とはそういうものだろう。

そして自分から断ち切ったにも関わらず、そのことをずっと引きずってしまっていた。

もう胸が苦しくて大変だった、呼吸をするのも難しかった。

そんな具合だったが、時間というものは不思議なもので進んだら進んだ分だけ何かを押し出してくれるようだ。

いつの間にか遠いところに来てしまったがもう痛みはなかった。

悲しみもない、後悔もない。

あるのはただ純粋な静けさだった。私は私を大丈夫と思えていた。

 

久しぶりに旧友に連絡を書いてみた。

凄い進歩だ。人と臆せず連絡をとれる。

もう何だか大丈夫そうだな。

これからは本当の意味で自分のために時間を使おうと思う。

生きるとは結局自己満足なのです。

最近読んだ本

最近読んだ本を紹介する

東京に来てはや3ヶ月、最も嫌いな師走と言われる時期がきた。

世間が新年に向けて沸き立つのは嫌になるけど、体調はまずまず。

読んだ本を紹介する。

 

天使の囁き

ホラー小説作家の貴志祐介さんの作品。

何を隠そう僕はこの人の作品が大大大好きなのだ。

1番といってもいいぐらいどの作品も読んでいるとのめり込んで次々とページをめくってしまう。

この作品も例に漏れずお手本と言えるような王道の貴志祐介さん的面白さ。

最近は新作がないみたいなので次回作を書いて欲しい!

億男

今年だったけ?映画化された川村元気さんの作品。

良く言うと読みやすかったで、悪くいうとチープなエンタメ小説といった感じ。

内容もあまり多くなく半日もかけずに誰でも読めると思う。

作者の河村さんはメディア関係の仕事をしていたらしいのだが作家に転身し、精力的に作品を発表しているかつ映像化をされる頻度が高い。

 

個人的にはその時々の流行に合わせて狙って書いてるんだなと感じる。

そしてそれが狙い通り受けるのだから頭がいい。

この本の内容は宝くじで3億円を突如手にした主人公が、親友にお金を奪われお金を取り戻すためにお金とは何なのか考えるという感じ。

お金に関して様々な考え方が出てきて面白かった、ただ密度が少ないので薄っぺらいとも思ってしまう。

古本屋で安く売っていたので購入、こうゆうエンタメ小説は余暇潰しにはもってこいです。

コインロッカーベイビーズ

こちらは購入してから長らく放置していた難解作品。

限りなく透明に近いブルー」で颯爽と文壇に現れた村上龍の長編2作目かな?

ザ純文学って感じで内容が濃い、そして難解。

しかし今回はしっかりと読み終えることができた。

やっぱり読書も色んな作家の作品を読むことで、読めるようになる作品もあるんだと感じた。川端康成とか三島由紀夫も今読めば読めるようになっているかも。

 

タイトルの通りコンロッカーに捨てられた子供2人の話。

主人公はキクとハシ、2人とも生まれて間もなく駅のコインロッカーに捨てられ奇跡的に生き延びて発見される。乳児院で育ち島の中年夫婦の里子になり、それぞれ大人になっていく。彼らは他の大多数と同じようには生きられないなぜならコインロッカーで見つかったから、それがいつまでも付きまとう。

 

この話をまとめようと思うと難しくてあまり言葉にできない。

端的にいうと狂っている。デビュー作の限りなく透明に近いブルーの延長にあるのが本作品とも言えると思う。村上龍独特の荒廃した雰囲気と下品さが随所に散りばめられている。それでいて文体は平坦で淡々とあるがままを描いているようにも見えていやらしさを感じさせない、そんな感じ。

 

個人的にはアネモネっていう女の子が出てきてから面白くなっていった印象。

キクの刑務所の運動会のシーンは感動してしまった。刑務所の所は好きなシーン多いかもしれない。

読者の間ではこれはキク派とハシ派に分かれていたりするんだろうか。

ハシは屈折しすぎてもうついていけなかったな、どこまでも狂っていってしまうしだけどもキクも同じで、その違いは自己認識が正確になされているかどうかってだけじゃないのかな。

 

文量もかなりあるので十分な読み応えでした。もう作品の密度と世界観に圧倒されっぱなしで濃厚な料理を食べたよう。あれを作意的にかける村上龍はすげーと思った。

かもめのジョナサン(完成版)

タイトルは聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

読んだ人も多いのだろうけど少し違いがあってそれは(完成版)と名前がついていること。当時は3つのパートに分かれていたのだけれど、これはそれにもうひとつ付いて4パートからなる完全版だ。

2013年に作者が飛行機事故で大怪我を負ったのが原因で続編の章を発表するに至ったらしい。つまり元の話の後日談が追加されている。

ジョナサンが亡き後の物語だ。

 

初めて読んだのだけれどとっても良かった。

毎日カバンに入れて持ち歩きたいぐらい内容も多くないし読むたびに感じが変わる作品なのではないだろうか。

作品の色としては「幸せの青い鳥」や「星の王子さま」みたいな寓話的でアフォリズムを強く感じる作品。

多くの人が面白いというんじゃないかな。

読むと元気をもらえる人も多そう。こういう元気を与えてくれる小説ももっと読んでみたい。

世界の終わりとハードボイルドワンダーランド読破!

ついについに、村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読み終わった。

 

感想はかなり面白かった。

 

僕は結構、村上春樹が大好きで作品を読んでいるんだけど、この本は買ってから読み終わるのに2、3年かかってしまったかな。

 

その間に何度もトライをしたけどあまり面白いと思えず最近何度目かのトライをしてついに最後のページまで進めることができた。

 

僕の最初の春樹作品との出会いは「ノルウェイの森」だった。

これを読んで僕は小説というものを根底からひっくり返されるような衝撃と言葉に表すのが難しい感動や感情を感じた。

そこから手当たりしだい村上春樹を読もうと思ったんだけど、違った。

 

僕はまた「ノルウェイの森」のような面白さや感覚を味わいたかったのだけれど、一般には村上春樹の作品はシュールレアリズムというジャンルと言われていてそれが彼の作品の個性であり持ち味だということだった。

 

当時の僕にはまだシュールレアリズムを理解するのが困難だった。

今振り返ってみると「ノルウェイの森」というのは村上春樹の小説の中でも特異な位置付けであると思う。

 

それは日本での発行部数も群を抜いているし何より物語は一貫してレアリズムをもって書かれているからだ。いきなり変な世界に迷い込んだり、変な動物が出てきたりもしない。あくまで現実の世界で登場人物たちによってドラマが繰り広げられる。

 

今思うのは作家としての村上春樹を知ろうとして作品を読み始めるのに最初の一冊に「ノルウェイの森」はあまりに村上春樹を表しきれていないというこだ。

 

作品単体とすれば僕は「ノルウェイの森」を知らない人にオススメしたいんだけれども、ノルウェイの森を読んでからまた同じような感動を味わいたいと春樹作品を求める人がいる場合その人にとっては酷な所があるとも思う。

 

僕の場合はこうだった。

運がいいことにノルウェイの森にどっぷりはまっている時にバイト先の先輩も村上春樹を読んでいて「なら世界の終わりとハードボイルドワンダーランドがオススメだよ」と教えてもらった。

すぐに本屋さんで上下巻を購入し読み始めるがショックを受ける。

最初のシーンでは主人公は記憶を失っていて何やら箱の中に閉じ込められていて、動いている感覚があるからおそらくエレベーターの中だと推測する。動きが止まり扉が開くと目の前には見たことのない太った女がいた、みたいな感じだった。

なにこれ!?全然面白くない。期待していたのと違う。

 

主人公の名前は誰で職業は何をしていて、女は誰なのかとか知りたい前提情報が全く書かれていない(ちゃんと読み進めれば書いてあった)

そんなことで僕はあまりのつまらなさにそれ以降ページをめくるのを辞めた。

この物語は「世界の終わり」と「ハードボイルドワンダーランド」という二つの話が交互に載っていて、後の大ヒット作「海辺のカフカ」と同じ構図をしていることが分かる。

僕がつまらないと感じた冒頭のシーンは「ハードボイルドワンダーランド」の方なんだけれど「世界の終わり」の方も冒頭はかなり退屈だ。

 

同じように主人公は記憶を無くしていて気づくと見知らぬ街にいた、その街には獣が住んでいて最初は獣の描写が淡々と続く。

この獣と書かれているものは単に何かの比喩なのか実際に存在する動物なのかが詳細には書かれておらず一貫して獣と表現されている。

 

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は最初は結構難解で読み進めるのに根気と忍耐がいると思う。

そのページそのページで書かれている表現や描写は美しくて読み応えがあるのだけれど、この先も長いページが待っていると思うと物語としてどう展開されていって、何が言いたいのかとか考えちゃうとどうしても冒頭は難しい。

 

僕は小説を読む時よく面白くなってくると、物語にリズムが出てくるって表現するのだけれど、この物語はそのリズムが出てくるまでに結構ページ数がかかる(あくまで個人の見解)。

 

そしてリズムに乗れれば後は最後のページまでノンストップでめくってしまうほどの面白さを秘めている作品だった。

 

二つの作品が平行して進んでいくんだけれど、上巻を読み終わる頃は断然「ハードボイルドワンダーランド」が面白いと感じていたんだけれど読み終わった今は「世界の終わり」の方を読み返したいと感じている。

 

僕は全部の村上春樹の作品を読んでいるわけではないんだけどもエッセイや短編集を含めてまあまあ読んでいると自負していて、他の作品と比べてみるとこの物語はラストに結構密度が濃い展開になっていったと思う。

 

二つの話が載っている分ラストスパートも二倍の密度に感じたのかも知れない。

読んで思うのはやっぱり村上春樹は裏切らないなあということだ。

 

言葉にして表してしまえば安っぽくなるし薄まってしまうけど、やっぱり面白いよ。

また少しづつ読んでいない作品を読んでいきたいと思う。